アジア共同行動・日本連絡会議

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日本連絡会議ニュース

 

 

 

3・11 反原発闘争 京都、大阪、北九州、福岡から


各地で行われた3・11反原発闘争を報告します。


京都

京都では、3月10日に「バイバイ原発3・10きょうと」と銘打った集会がおこなわれ、約5000人が参加しました。これはこれまでの京都での反原発集会の参加者数を大きく上回るものです。会場となった円山野外音楽堂は集会が始まる前からすでに満席となり、入りきれない人々が会場周辺に溢れ出ていました。また、集会前段には、円山公園内で関連イベントもおこなわれました。

午後二時から始まった集会のなかで、京大原子炉実験所の小出裕章さんは「この空の繋がった福島ではいま現在も放射能で汚れており、政府はそこに人々を取り残しています。これまで原子力を進めてきた政治、経済界、裁判所そして学会等々は、大変重い責任があります。正直に言うなら、そういう重い責任がある人をみんな刑務所に入れるべきだとわたしは思っています」と静かだが力強く参加者に語りかけました。そして、チェルノブイリ事故の直後にウィーンで取り組まれたデモに参加したときの印象を語りながら、「人々が本当に自分の意思をもって、原子力をやめさせようと思うなら、それは絶対にできます」と参加者に訴えました。

さらに、「さようなら原発一〇〇〇万人署名」京都の会の石田紀郎さん、制服向上委員会の歌とスピーチが続いた後、❶原発のない社会をめざそう、❷再生可能エネルギーを中心にしたエネルギー政策を実現しよう、❸大飯原発の再稼動をやめさせよう、という集会決議が紹介されました。

その後、全員で「ウィ・シャル・オーバーカム」を合唱した後、参加者は京都市役所前までのデモをおこないました。

この日の集会の成功をばねに、当面する大飯原発再稼動阻止、そしてすべての原発の停止・廃炉に向けて、さらにたたかいを強化していきましょう!


大阪

東日本大震災・福島原発事故から1年となる3月11日(日)、大阪・中之島一帯で「さよなら原発3・11関西1万人行動が取り組まれました。

この日の行動は、午前11時からの中之島中央公会堂における特別企画から開始されました。1000人を越える人々が公会堂を埋めつくすなか、主催者あいさつに続いて、まず福島・飯舘村の酪農家で伊達市に避難している長谷川健一さんが「原発事故が奪ったもの」というテーマで講演を行ないました。長谷川さんは、映像をまじえながら原発周辺地域の状況や飯舘村での酪農を断念せざるをえなかった経過を報告し、原発をなくそうと力強く訴えました。次に福井から参加した元美浜町議の松下照幸さん(森と暮らすどんぐり倶楽部代表)が、「原発銀座の若狭から」というテーマでアピールを行ないました。松下さんは、福井県が要求してきた北陸新幹線の敦賀延伸や高速道路建設などを政府が約束したことで、福井県知事が大飯原発の再稼働の容認へとスタンスを変化させつつあることを報告し、再稼働をやめさせるためにたたかいを強化しようと訴えました。そして、美浜町では福島原発事故以降、多くの住民が原発への不安と原発がなくなることへの不安の両方を抱いてきており、原発に依存しない地域の再生のための政策を立案していこうとしてきたと報告しました。松下さんは最後に、原発立地地域の状況は厳しく、電力を大量に消費してきた都市の人々が「もう原発による電気はいらない」と大きな声をあげていかねば原発はなくせない、ともにたたかおうと呼びかけました。

午後からは、中央公会堂と女神像前と剣崎公園の三ヶ所にわかれて、平行して集会が開催されました。中央公会堂では、午後1時から1時45分の集会と午後2時15分から2時45分の集会が入れ替え制で開催され、日下育子さんの被災者アピール、福井からのメッセージ、「かいじゅうげんぱつどん」の上映などが行なわれました。

女神像前では、集会開始前からさまざまな企画やアトラクションなどが行なわれたあと、午後2時15分から2時45分まで集会が開催されました。主催者あいさつに立った若狭連帯ネットの久保さんは、日本が変わらなければなにも変わらない、原発のない社会へと日本を変えていこうと呼びかけました。続いて福島で被災した村上真平さんがアピールを行ないました。村上さんは飯舘村で仲間たちと棟上をしているときに地震が発生し、福島原発事故の発生を聞いてその日の深夜に山形へと避難したことなど、震災当日の緊迫した状況をまず報告しました。そして、原発事故が収束していないにもかかわらず、政府は停止中の原発の再稼働にふみ切ろうとしており、これをやめさせ、原発のない社会をつくるためにともに頑張りたいと発言しました。次に福井県・美浜町から参加した松下照幸さんが午前中の中央公会堂での発言と同趣旨の発言を行ないました。

剣崎公園でも、午後2時15分から2時45分まで集会が行なわれました。この集会では、福島・飯舘村の酪農家であった長谷川健一さんが午前中の中央公会堂での講演と同趣旨のアピールを行い、また福井からのメッセージが紹介されました。

集会の終了後、中央公会堂からは関西電力本社に向けて、女神像前からは難波に向けて、剣崎公園からは西梅田に向けて、三コースに分かれたデモが行なわれました。この関西1万人行動には、三会場をあわせて約7000人が参加しました。それは、昨年6月11日の集会の参加者のほぼ二倍となるものでした。また、この日は原発ゼロの会・大阪が呼びかけた扇町公園での集会が約8000人の参加で開催されています。前日の3月10日のバイバイ原発3・10京都の集会に約6000人が参加するなど、3月10日・11日の両日をあわせると、大阪・京都・兵庫だけでも3万人を越える人々が反原発・脱原発のたたかいに立ちあがりました。また、関西1万人行動では、大飯原発再稼働阻止という課題が正面から提起され、集会決議において確認されました。野田政権は、大飯原発3号機・4号機を突破口に、全国各地で停止中の原発の再稼働を強行しようとしています。地元福井だけではなく、関西・全国の力を総結集し、大飯原発再稼働阻止に向けて全力でたたかうことがますます要求されてきています。私たちアジア共同行動は、この関西1万人行動では女神像前の集会に参加し、難波までのデモをたたかい抜きました。大飯原発再稼動をめぐっては、3月25日(日)に原子力発電に反対する福井県民会議が呼びかける福井市での集会、さらに4月7日には「大飯原発再稼働に反対する4・7関西集会」(同実行委員会主催)が滋賀県・大津市で開催されます。これらの集会の成功をかちとり、地元福井と関電本社前を結び、大飯原発再稼働阻止に向けたたたかいをより大衆的に、より戦闘的につくりだしていかねばなりません。そして、政府と国会に対してすべての原発の廃炉と再生可能エネルギーを基軸としたエネルギー政策への根本的転換を決定するように迫る巨万の反政府闘争を夏に向けて組織していくために奮闘していきたいと思います。


北九州

3月11日、北九州市の北九州メディアドーム横広場において「さよなら原発!3・11北九州集会」が行われ、約5000人が集まった。午後の本集会に先立ち、午前10時から、ライブペイント、歌、原発政策についてのシンポジウムなどのイベントがいくつも行われた。

午後からは何人もの人たちが登壇し、発言を行なった。冒頭、発言に立った北九州市立大の棚次名誉教授は、原発事故から1年たった今も事故の収束はおぼつかない。しかし政府はストレステスのようないい加減なもので安全として再稼働をしようとしている。として福島第1原発の爆発から現在に至るまでの政府の態度を批判した。そして発言の最後に「今の原発をなくすことが第一。それで私たちの未来が拓けてくる。もっと声を大きくしていこう。原発を廃止していこう」と締めくくった。

その後、福島県からの避難者の発言も行われた。集会の最後に「全ての原発からの撤退を求める」宣言を採択した。

その後、2コースに別れ、「原発いらない」「九電変えよう」「ここから変えよう」とシュプレヒコールを上げ、デモ行進を行なった。


福岡

3・11。福島集会と連帯した、さよなら原発 福岡県集会が冷泉公園で約700名で闘われた。さよなら原発3・11福岡集会 、「フクシマ~フクオカ、核なき未来へ」集会もまた、 福岡市中央区須崎公園で行われ、5000人が結集。AWC九州山口実のなかまがそれぞれに参加。

3・11反原発闘争各地の写真


京都

3・11反原発闘争・京都・その1

3・11反原発闘争・京都・その2


大阪

3・11反原発闘争・大阪・その1

3・11反原発闘争・大阪・その2

3・11反原発闘争・大阪・その3


北九州

3・11反原発闘争・北九州・その1

3・11反原発闘争・北九州・その2

3・11反原発闘争・北九州・その3

3・11反原発闘争・北九州・その4


福岡

3・11反原発闘争・福岡(須崎公園)・その1

3・11反原発闘争・福岡(須崎公園)・その2

3・11反原発闘争・福岡(須崎公園)・その3

3・11反原発闘争・福岡(冷泉公園)

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