アジア共同行動・日本連絡会議

日米のアジア支配に反対し、アジア民衆の連帯を推進する

日本連絡会議ニュース

 

 

 

レポート「2018 日韓青年学生交流の旅」


昨年11月、韓国訪問が取り組まれました。そのレポートをアップします。

■1 はじめに

AWC日本連では、去る2018年11月9日(金)から11日(日)の3日間、韓国の青年・学生と交流し、韓国の近現代史を学ぶ「日韓青年学生交流の旅」をおこないました。東京と関西から、学生や青年労働者が参加しました。

ここにその概要を、参加者自身によるレポートと写真で報告します。

■2 スケジュール

・11月9日(金)

 午前:青年団体との交流(報告者S)
 午後:西大門刑務所&南営洞(報告者T)
 夜:前夜闘争文化祭(報告者T)

・10日(土)

 午前:労働党講演(報告者I)
 午後:BI集会(報告者Y)/労働者大会(報告者T)
 夕方:「少女像」前集会(報告者T)

・11日(日)

 光州~道庁前、民主墓地(報告者S)

・12日(月)

 タプコル公園・チョンテイル像(報告者S)

■3 参加者の感想

・旅全体を通した感想
・光州訪問の感想


■2 スケジュール

・9日(金)午前:青年団体との交流

初日である11/9の午前中は、青年団体ノモの事務所に訪問し、ノモ代表シン・ミンジュさんほか韓国の若者たちと交流することができた。日本では「ろうそく革命」によって朴槿恵大統領を退陣に追い込んだ「成果」が強調されることが多いが、実際には韓国の市民運動の力は後退局面にあるとのこと。朴槿恵を退陣に追い込んだのはいいものの、ろうそく革命における要求項目の大半は実現されず、文在寅政権となった今でも、新自由主義的政策はそのまま継承されているというのだ。韓国では少数者に対するヘイト運動が活発化し、それに対する反撃が闘われている。生産力主義、排外主義に対抗し、排除されている人が手を取り合う組織建設を目標に活動している。

韓国の若者は個別課題ごとにグループを作って闘っている。例えば韓国軍によるベトナム民間人虐殺問題の解決に取り組む「蓮の花の下」、ベーシックインカム政策を推進する「なまける権利」、女性問題に取り組む「明日の虹」、教師対生徒の性暴力問題に取り組む「青少年フェミニズム」などである、その他にも最低賃金や良心的兵役拒否(代替公務制)などに取り組むグループが存在する。

現在韓国では、文在寅政権はその経済政策において「包容国家」-公正経済・所得中心経済というスローガンを掲げているが、その内容はろうそく革命の要求を一部だけ取り上げた財閥優遇主義、新自由主義的なものとなっている。一方で韓国の進歩政党はこれに対抗する政策・展望を提示できないでいる状況にある。そのような中で彼らは非正規・不安定労働の改善のため取り組んでおり、大きく3つの柱からなる。労働時間の縮減、最低賃金、基本所得(ベーシックインカム)である。その中でもとりわけ基本所得の確立こそが新自由主義”後”の社会において重要であるという考え方から、彼らは韓国労働党の一機関として「基本所得連帯」という組織を作り、活動している。長期的な展望として、第4次産業革命によって仕事量そのものが減少することは、左右両陣営にとって共通の認識として存在する。一方で、基本所得については反対の声が少なくないものの、ここ数年、保守層の中に確実に浸透しつつある。基本所得へ向かう「うねり」のようなものが発生しつつあり、長期的に見て基本所得実現に向けて進んでいるといえ、実質的論議こそ進んでいないが、漸進的にすすんでいる情勢である。社会でも、左派陣営の中でも、基本所得について真摯な議論がなされていない状況にある。基本所得は単なる制度問題ではなく、社会変革の鍵となる問題であるとの認識のもと取り組みを進め、「基本所得派」とでも言うような一大勢力を作り上げ、2020.4の総選挙に勝利すべく、草の根から運動を進めている。

最低賃金の問題に関しては、文在寅政権は最低賃金1万ウォンを公約に掲げ当選した。その影響で文在寅政権の初年度において最低賃金は大幅に向上したものの、一方で最低賃金改悪法を成立させ、これまで最低賃金に含まれていなかった手当類を最低賃金に含めるように制度を改悪し、見かけ上の最低賃金を引き上げるという狡猾な手口を用いている。

韓国労働党では、先初日である11/9の午前中は、青年団体ノモの事務所に訪問し、ノモ代表シン・ミンジュさんほか韓国の若者たちと交流することができた。日本では「ろうそく革命」によって朴槿恵大統領を退陣に追い込んだ「成果」が強調されることが多いが、実際には韓国の市民運動の力は後退局面にあるとのこと。朴槿恵を退陣に追い込んだのはいいものの、ろうそく革命における要求項目の大半は実現されず、文在寅政権となった今でも、新自由主義的政策はそのまま継承されているというのだ。韓国では少数者に対するヘイト運動が活発化し、それに対する反撃が闘われている。生産力主義、排外主義に対抗し、排除されている人が手を取り合う組織建設を目標に活動している。

韓国の若者は個別課題ごとにグループを作って闘っている。例えば韓国軍によるベトナム民間人虐殺問題の解決に取り組む「蓮の花の下」、ベーシックインカム政策を推進する「なまける権利」、女性問題に取り組む「明日の虹」、教師対生徒の性暴力問題に取り組む「青少年フェミニズム」などである、その他にも最低賃金や良心的兵役拒否(代替公務制)などに取り組むグループが存在する。

現在韓国では、文在寅政権はその経済政策において「包容国家」-公正経済・所得中心経済というスローガンを掲げているが、その内容はろうそく革命の要求を一部だけ取り上げた財閥優遇主義、新自由主義的なものとなっている。一方で韓国の進歩政党はこれに対抗する政策・展望を提示できないでいる状況にある。そのような中で彼らは非正規・不安定労働の改善のため取り組んでおり、大きく3つの柱からなる。労働時間の縮減、最低賃金、基本所得(ベーシックインカム)である。その中でもとりわけ基本所得の確立こそが新自由主義”後”の社会において重要であるという考え方から、彼らは韓国労働党の一機関として「基本所得連帯」という組織を作り、活動している。長期的な展望として、第4次産業革命によって仕事量そのものが減少することは、左右両陣営にとって共通の認識として存在する。一方で、基本所得については反対の声が少なくないものの、ここ数年、保守層の中に確実に浸透しつつある。基本所得へ向かう「うねり」のようなものが発生しつつあり、長期的に見て基本所得実現に向けて進んでいるといえ、実質的論議こそ進んでいないが、漸進的にすすんでいる情勢である。社会でも、左派陣営の中でも、基本所得について真摯な議論がなされていない状況にある。基本所得は単なる制度問題ではなく、社会変革の鍵となる問題であるとの認識のもと取り組みを進め、「基本所得派」とでも言うような一大勢力を作り上げ、2020.4の総選挙に勝利すべく、草の根から運動を進めている。

最低賃金の問題に関しては、文在寅政権は最低賃金1万ウォンを公約に掲げ当選した。その影響で文在寅政権の初年度において最低賃金は大幅に向上したものの、一方で最低賃金改悪法を成立させ、これまで最低賃金に含まれていなかった手当類を最低賃金に含めるように制度を改悪し、見かけ上の最低賃金を引き上げるという狡猾な手口を用いている。

韓国労働党では、先般の労働大会において3つの個別課題のための組織を作り、活動することを決定した。基本所得連帯、文化芸術委員会、労働者政治委員会である。これらの課題への対処を通じて、社会運動の再建、進歩左派勢力を再建することを目標に、取り組んでいる。(報告者S)

・9日(金)午後:西大門刑務所&南営洞

日本帝国主義の植民地支配に対し、抗日と独立の運動をたたかった人々は激しく弾圧された。そうした人々が投獄されたのが、西大門(ソデムン)刑務所だ。当時の建物がそのまま保存され、厳しい取り調べや拷問を受けたであろう部屋がそのまま残されている。絞首刑を執行した建物もあった。「生きてここから出られるかわからない」という恐怖と、拷問の苦痛を強制したのは、まぎれもなく日本人である。日本帝国主義からの解放後は、歴代の軍事独裁政権が民主化運動の活動家をこの刑務所に投獄した。

次に私たちは、警察庁人権センターを訪問した。映画『1987 ある闘いの真実』に出てくる、ソウル大生・朴鐘哲(パク・ジョンチョル)さんが水責めの拷問で殺された場所だ。まさにその部屋が、そのまま保存されている。当時は「南営洞対共分室」と呼ばれ、公安警察の秘密施設だった。当時、警察は拷問死を隠そうとしたが、真相が暴露され、全国的な民主化闘争につながった。いまこの施設は、当時の人権侵害を反省し「民主的な警察に生まれ変わった」と警察庁がアピールする場になっている。(報告者T)

・9日(金)夜:労働者大会・前夜闘争文化祭

毎年、労働者大会の前日に前夜祭が開催されるが、今年は規模を縮小して、500人ほどの人たちがろうそくを持って座り込んで「文化祭」を開いていた。

場所は青瓦台(大統領府)にほど近い路上で、朴槿恵大統領の時代にはここに近寄ることすらできなかっただろう。一方で、この場所で集会をおこなうということは、ろうそく革命から誕生した文在寅大統領ではあるものの、労働者の側からの要求にいまだ応えていない、との対決姿勢の現れなのだろう。

非正規労働者や零細業者の立場からのアピールの合間には、闘争歌の合唱や踊りが織り込まれていた。参加者の一体感が高まるし、飽きさせない。私たちもろうそくを手に座り込んだ。(報告者T)

・10日(土)午前:韓国労働党の講演

ホ・ヨングAWC韓国代表が『平和キャンプ』事務所にて、韓国の運動状況について本派遣団に説明した。

韓国の現状の政治状況については進歩勢力内の現・文政権への評価の揺らぎがみられているという。文政権は、度重なる不祥事の末に「ろうそく革命」と総称される市民主体の弾劾運動で追放された朴槿恵政権の後に成立したが、近日の文政権の支持率は低下の一歩だ。それは、文政権期であっても彼が公約で改善を約束した、労働環境の改善などの「労働尊重」、最低賃金増額などの「所得主導成長」、財閥解体などの「構成経済」の各面で、改善するかむしろ改悪が進んでいる、現状の状況にあるとホ代表は分析する。

とはいえ、その現状に対抗できる進歩勢力の地盤は盤石ではない。文政権下で、労働者は協調的立場に位置づけられており、外観上、文政権下の「リベラル的」政策によって労働者の組織化は容易になり事実促進された。その結果労組としての闘争力は落ちているとされるが、これについては運動内部の路線の対立というだけでなく歴史面での背景もある。1990年代後半のアジア通貨危機で大量解雇された労働者らの運動は、連帯から個別事業ごとの運動へと変化した。また、新自由主義下で運動内の賃金格差が拡大し、連帯内部での共感力も低下している。それに加えて文政権下での「平和局面」が進む中で、以前と比べて人々が運動の実効力に関心を示さなくなったとのだという。

そのうえで社会運動情勢については、Metooといった今日的な運動形態から、立ち退き問題などの資本への根強い抵抗運動に至るまで広がりがみられている。現状の日本での関心に沿えば、ひとつは「エネルギー」の観点だ。「脱原発」は文政権下で公約化されたが実現目標が60年以上先に設定されたほか、さらなる原発輸出も計画されている。また、環境破壊型の開発として進む天然エネルギーの推進についても抵抗運動が進む。

また、学生の運動については学校単位ではなく労働、社会などの闘争現場への参加型が主になっているという。その中で学校教育を主軸とした現制度「制度権教育」に対抗してフリースクールなどの制度外の教育への権利保障や公的関与を求める運動が存在する。

南北問題について、11月時点で、板門店会談や文大統領のピョンヤン訪問、「南北」の軍事合意など進展がみられているが、その実質は「米北」問題である。韓国の軍事システムを事実上制御する米軍は、サード配備の他、日韓で100年単位の軍事増強を進めており、「北」との間で相互不信を起こしている。これに対して、韓国内の世論一般の反応は複雑だ。朝鮮戦争以後の長さ故に、制裁解除による粘り強い解決よりも非核化といった単発的な解決に関心が向きやすい一方、朝鮮半島周辺の日本を含めた「南北」開戦圧力に晒されているが故に「南北」国家間主体の他所を招かない独自交流に理解が集まっている。

最後に、これらの状況において、民主労総内部で分派の動きがたびたび見られ、2012年には代表選挙に徹底闘争への路線回帰を求める一派が立候補した。とはいえ現状においてもそうした勢力は民主労総内で大きいとは言えない。(報告者I)

・10日(土)午後:ベーシックインカム(基本所得)要求集会

11月10日、土曜日、私たちは、地下鉄に乗って、労働者大会が行われるソウル市街へ向かった。大統領府のある青瓦台近くからは、山がのぞめ、都心から山(北岳山・プガクサン)が見えるというソウルの地形に東京との大きな地形の違いを感ずる。ソウルの街中は、しかし近代的なビルが建ち並ぶ大都会でもある。東京となんら変わらない、無印良品や大書店が入ったビル。そこからほどちかい、銀杏の並木道が美しい街路、そこで、青年労働者たちの基本所得(ベーシックインカム)を要求する、パフォーマンスを交えた集会が行われていた。

路上のステージに向かって、シートが敷かれていて、そこに座り、集会に参加する。間もなく、参加者ひとりひとりに、段ボールの小箱が配られた。

この世の「こんなものいらない」ものを銘々、書いてほしいとのこと。

司会は、昨日、お話を聞いた青年労働者団体ノモの人たち。バンド演奏あり、トークありのステージで訴えていたのは、「基本所得」(ベーシックインカム)の国への要求のこと。国民の最低限度の生活を保障するため、国民一人ひとりに現金を給付するという政策構想である。司会の女性達は、思い思いの個性的な私服姿に、白いネクタイを首から巻いていて、スタイリッシュだった。「基本所得」を訴えるそのステージは、韓国語がわからない私にとっては、細かな内容はわからないまでも、その熱さは伝わる。

司会者が訴える。「ろうそく革命はまだ終わっていない」「AIが私たちの仕事を奪い、青年の就職が難しくなった。今こそBIが必要だ。代案はBIだ!」

ステージもトークあり、バンド演奏あり、と細部にわたって細かな演出が繰り広げられていた。

「BIがあれば、DVをするような夫と別れて、本当に好きな人と一緒に生活できる。フェミニズムの立場からBIを支持する」(女性2人の歌と発言)

「朝昼働き、夜がバンド演奏。もっと練習する時間が欲しい。カネのために演奏をやってる気になってしまう。ベーシックインカムの運動が進展することを、おれたちは願っている」(男性3人組のロックバンド「スーパーギャラクシー・ウルトラ・マンモス」)

労働者団体の中には「怠ける権利」というネーミングを主張している方達もいて、非正規として、自由な時間を持つ事もかなわないまま、労働に追われている現状も少なくないのであろう。

ステージが進んで行く中、手にした小箱になにを書くか、左手に配られたオレンジ色の風船を揺らしながら、マジックを手に考える。韓国に来て、私たちは、あたたかな韓国の方たちに囲まれ、西大門刑務所では、かつて植民地として朝鮮半島を軍事支配していた、日本の許されざる暴虐・差別・抑圧の傷を見た。手にした小箱には、「暴力的差別」と書いた。

「基本所得」要求の会は、ステージングとして、少人数の集まりながら、楽しく、わきあいあいとしたものだった。

小箱が、スタッフによって、集められていく。その小箱が、まるで煉瓦を積むように積まれていく。たくさんの小箱が積み上げられて出来た自由と平和を阻む壁。それを、最後に、スタッフは一撃のもとに、壊した。生きづらさを阻む壁の崩壊。

労働者として、時間に追われながら、搾取構造の中にある者は、社会構造の中で、みな生きづらさを抱えていると思う。いかに「基本所得」の要求が、誠実な正当な訴えであるかと思う。(報告者Y)

・10日(土)午後:全国労働者大会

民主労総主催の「労働者大会」は、その題目に「全泰壱(チョン・テイル)烈士精神継承」とあるように、1970年に抗議の焼身決起をされた全泰壱さんにちなんで、毎年11月に開かれている(全泰壱さんについては12日を参照)。

午後3時、「積弊清算!労組活動の権利!社会大改革!11.21ゼネスト宣言!」を掲げて、大会が始まった。光化門に至る大通りは、文字どおり労働者で埋め尽くされた。6万人が参加したという。私たちは演壇からかなり遠い後方で参加した。

大会では、金属労組や鉄道労組が壇上にあがってアピールしたほか、「高空籠城」といって、煙突の上で抗議の籠城をしているファインテック労組がアピールした。

民主労総のキム・ミョンファン委員長が最後に、「11月ゼネラルストライキ」を呼びかけ、大会の決議としてデモへ出発。ピンク色のゼッケンを来た非正規の女性労働者たちの大隊列が圧倒的だった。日本ではまず体験できない、車道を埋め尽くす開放感いっぱいのデモだった。(報告者T)

・10日(土)夕方:「少女像」前集会

デモを終えた私たちは、日本大使館(改築中)前に佇む「少女像」を訪問した。日本軍元「慰安婦」に対し、日本政府は、国家としての謝罪も補償も一切、行なっていない。無念のうちに被害者の方々が亡くなっていくなかで建てられたのが少女像だが、撤去されないように学生たちが毎日、交代で守っている。

ちょうど土曜日ということで、学生たちが小さな集会を開いていた。「私たちが少女像を守り、真の補償を求めているのは、日本がふたたび戦争をする国にしないためです」「私たちがたたかっている相手は安倍首相など一握りの軍国主義復活勢力であり、日本人全体ではない」と語っていた。「明治150年式典」で安倍首相がどんな演説をしたかも把握していた。

彼女たちは「日本人全体が嫌いなのではない」と言ってくれるが、「北の脅威」を口実にして軍事大国化を進める安倍政権を倒せず、許してきたのは私たちでもある。それどころか韓国裁判所の「徴用工」判決を受けて、日本政府はきわめて傲慢な態度をとっているが、多くの日本人がそれに同調して「韓国バッシング」を起こしているのも事実だ。(報告者T)

・11日(日)光州~道庁前、民主墓地

KTXにのって光州に向かった。反戦団体「平和と統一を開く人々」光州支部の方々が私たちを出迎えてくれた。

最初に全羅南道旧道庁に向かった。旧道庁は一部が取り壊されているものの、概ね原形をとどめて保存されており、中は史料館となっている。旧道庁の向かいには銃痕が生々しく残るビルが保存されている。旧道庁建物を保存するための署名が集められていた。

続いて、国立5.18民主墓地に向かった。光州事件の犠牲者を追悼するための施設で、墓所のほか展示館、参拝所などからなる。展示館では、光州の弾圧がいかに凄まじいものであったか、ライフル(模型)や忠正棒(金属棒)、血に染まった石片など、生々しい展示品が見る者を圧倒させる。展示館には日本語解説の映像資料もあった。

派遣団一同で、民主墓地に参拝。厳粛の雰囲気のもと黙祷をささげた後、墓碑を見て回る。学生が多いが、中には小さな子供や、小中学生くらいの年齢の方も多く見受けられた。軍の虐殺がいかに凄惨なものであったかを思わせる。

光州を見て思ったのは、光州の人民の蜂起が単なる一地方の反乱としてではなく、国家の民主主義の歴史として刻みこまれているということである。光州事件の犠牲者は名誉回復され、韓国の民主主義を形成した歴史的事実として記憶されている。かつての軍事独裁政権は悪だったと定義され、それに対して戦いを挑んだ英雄とされているのだ。

事件の真相はいまだ明らかでない部分も多い。誰の命令で発砲が行われたのか、行方不明者の遺骨はどこに埋葬されたのか。

私たちにできることは、この悲劇が日本でも起こりうることと考え、警戒すること。そして、犠牲者の遺志を継ぎ、この日本の真の民主化のために闘っていくことだと思う。(報告者S)

・12日(月)タプコル公園・チョンテイル像

午前は、まず三・一独立運動の聖地であるタプコル公園に向かった。まず目に入るのは独立宣言文、そして三・一独立運動記念レリーフである。

レリーフでは、独立宣言文の読み上げから、警察・日本軍がそれを弾圧する様子、独立運動が済州島などを含めた朝鮮半島全域に広がっていった様子が描かれている。著名な柳寛順(※)なども描かれている。

朝鮮の独立にとって象徴的な場所であり、日本の弾圧の象徴でもある。

※記念レリーフの中央に描かれる柳寛順(ユ・グァンスン)は、運動に参加し逮捕・起訴され、獄中で死去した学生であり、「朝鮮のジャンヌ=ダルク」と呼ばれている。

次に、東大門市場に近い場所に設置された全泰壱(チョン・テイル)像を見学する。全泰壱は縫製工場の工員であったが、劣悪な労働条件を目にしたことにより、労働運動家として目覚め、労働法順守、労働条件改善のために奔走するが、改善が見られなかった。1970年11月の抗議集会の中で、焼身自殺を図って死去した。彼の死をきっかけとして労働者の悲惨な実態が報道されることとなり、労働運動が盛り上がるきっかけとなった。最終的に韓国の民主化運動につながっていったことは言うまでもない。彼は現在「烈士」と呼ばれており、2005年には銅像が建築され、周辺の通りが全泰壱通りと命名されることとなった。(報告者S)


<参加者の感想>

・旅全体を通した感想


「加害国民として」(学生I)

はじめて他のアジアへと向かった旅になった。

大学で運動の空間に触れてから、居住地の都内をはじめ成田に沖縄、北海道、福島…と国内の現場を訪れてきたが、どの現場でも、私はよくても理解ある隣人といった風に位置付けられることが多くて、今回のように植民加害者となる、ということ自体を想定の外において生きてこられた。

ある意味、そんな中で一回は罵倒されるつもりで海を渡ったつもりだったので、いま結局無事に戻って来られていることに拍子抜けしている。

それは当然、彼らと我々の間に、体制の云うような(適正な)「弁償」と「和解」が達成されたわけではない。日韓双方に戦後から75年が経った。その間に各々の「状況」が目まぐるしく変わる中でそれに合わせて生きざるを得なかったというだけだ。

そこに、この旅を通して私は加害国民として何らかの主体を得ることができていただろうか。

韓国から帰国して、私の通う大学で知人の韓国人留学生に会った。お互いの都合で急ぎ足に要点だけを掻い摘んで説明したところで、彼女はこう言った。「あなたの感想は客観的に過ぎませんか?」。彼女の発言はひどく驚かされるものであったし、身につまされる経験だった。

果たして、私は本心を語るべきだったか、そもそも黙すべきだったか。本訪問団代表は政治的主体としての人民=私について「死ぬまで犯し続ける『過ち』を検証し続け自己統制するプロセスが肝要」と仰った。私の苦悩は続く。


「隣国の若者たちとの交流を深め、共同して社会運動の再建を」(労働者S)

正直言って、韓国訪問に誘われたときは、最初あまり乗り気ではなかった。しかし、ろうそく革命をはじめとした韓国の労働運動の熱気のようなものは伝え聞いていたので、その一端でも感じることができればと参加を決めた。

衝撃的だったのは、韓国の若者たちからあった「韓国の運動は後退局面にある」という言葉だった。あれほど盛り上がったろうそく革命、何万人もが参加する労働者大会をもってして「後退局面」と呼ぶのであれば、日本の運動はどうなるのだろう。しかし、韓国の運動も、日本と同じく若年層の減少や左派勢力の衰退、権力側による巧妙なやり口など共通して抱える問題は多くあり、草の根から社会運動そのものを復興させていかなければならない状況は同じであった。

また、彼らも日本の状況を「アベノミクスで雇用が改善し、若者の就職もよくなり、景気もずいぶんと良いんでしょう?」といったように認識していた。もちろん、アベノミクスの成功は虚像であり、国民の生活実感、庶民から見たときの景気は悪くなるばかりだ。要するに、隣国といえども互いの状況はよくわからないし、情報もなかなか伝わらない。一方で、社会運動を再建していかなければならないという課題は同じであるし、その他にも共通して抱える問題、課題は多くある。

つまりは、私たちは自国内に閉じることなく、隣国の若者たちとの交流を深め、共同して社会運動の再建を担っていかなければならないということを今回の訪韓で認識した。また、それとは別に韓国の歴史や民主化運動の経緯を学び、実際の運動の熱気を感じられたことは大きな経験である。

「韓国はすごいよね、ろうそく革命、労働者大会はすごいね」で終わらせるのではなく、自分の持ち場での運動、国際連帯の推進に役立てていくことこそが重要だ、今回の訪韓ではそう感じた。


・光州訪問の感想

※以下の文章は、今回、光州市を案内してくださった団体「平和と統一を開く人々・光州支部」の皆さんへ御礼を兼ねて送ったものです。


大学入学直後に光州民衆抗争の写真展示会を見た。事態発生から1年後のことだ。数年後、419学生革命(1960)のスライド上映会で催涙弾が顔面に直撃して死んだ中学生の写真を見、また、全斗煥軍事独裁政権を世界で最初に認めたのが日本政府だったと聞かされた。同じ時期に読んだ本に次の一節があった。

「だが、自分のよって立つ不当な存立基盤を打破することなく体制に包摂されていく人間は、被抑圧者にとっては唾棄すべき抑圧者でしかないのだ。」

確か全共闘運動での言葉だ。歴史と社会構造の中の自分がおぞましい日本人の一人であり、抑圧者であることに気付いた。

という、当時の衝撃とその後学生運動に参加した原点を今回思い出した。韓国民衆から渡された「日本帝国主義打倒」と書かれたバトンを、アジア人民の血に染まった両手ではあるが、しっかりと受け取り、握りしめ直して、目標達成に向かって突き進んでいこうと思った。(AWC事務局S)


韓国から帰国して、私の通う大学で知人の韓国人留学生に会った。光州訪問は伝えてあったから自然とその話になる。お互いの都合で急ぎ足に要点だけを掻い摘んで説明したところで、彼女はこう言った。「あなたの感想は客観的に過ぎませんか?」。連帯運動の活動者ではなく、ひいてはただの学生運動「参加者」でしかなかった私にとってみれば、彼女の発言はひどく驚かされるものであったし、身につまされる経験だった。

アメリカ的民主主義が光州の悲劇を呼び起こしたというだけでない。南北分断の契機としての私(日本国籍者)、そのアメリカ的民主主義を今なお享受する私、両面の社会的評価と主体性が問われた場ではなかったかと感じさせる。

果たして、私は本心を語るべきだったか、そもそも黙すべきだったか。本訪問団代表は政治的主体としての人民=私について「死ぬまで犯し続ける『過ち』を検証し続け自己統制するプロセスが肝要」と仰った。私の苦悩は続く。(学生I)


ソウルから、韓国高速鉄道(KTX)で、南下、光州に向かった。車窓はずっと霧でけぶっていた。光州。1980年、5、18。光州事件と表されるこの民主化抗争を、私は、知らなかった。知らなかったという事実からはじめねばならない。

光州の地を車で案内され、はじめについたのは道庁前広場。韓国南西部の行政区、全羅南道に属していた広場である。かつてここは民主化運動に立ちあがった市民に埋め尽くされていた。広場の眼前に空輸部隊が銃撃を行ったというビルの姿があった。LOVE LIFEと大きく描かれた文字は、いつ描かれたものなのか。ごくあたりまえの市民の日常があっただろうことを思った。その暮らしの地平と続いている民主化運動が、軍事政権下で弾圧され、兵器が市民を無差別に攻撃し、市民は武器を手にして闘った血の抗争にまで発展していった悲惨。

車で大通りを走る。この道で、デモ隊と戒厳軍との銃撃戦が行われたのか、と思う。

そんなふうに、民主化への民衆運動について自らを真剣にかけたこともない自分は、悲痛を感じながら、往時について思いをめぐらし考察するほかない。この悲しみは、いまここにある世界の現実とつながっていることも認識せねばなるまい。

民主墓地に捧げられた、白い花が遠く目に浮かぶ。(労働者Y)


光州に行って衝撃的だったのは、光州の人民の蜂起が単なる一地方の反乱としてではなく、国家の民主主義の歴史として刻みこまれているということである。光州事件の犠牲者は名誉回復され、韓国の民主主義を形成した歴史的事実として記憶されている。かつての軍事独裁政権は悪だったと定義され、それに対して戦いを挑んだ英雄とされているのだ。

翻って日本はどうか、民主主義を自らの力で、真の意味で勝ち取ったことはない。形式的には民主的で平和的な国家を装いながらも、アメリカ軍基地の存在を許し、東アジアの平和に対する脅威となり続けてきた日本。光州を訪れたことによって、日本人民がこれまでいかに何もしてこなかったか、民主主義を真の意味で獲得することができなかったことを痛感した。

光州をみて感じたことを日本の運動に活かしていくこと、これが本訪韓団の任務だと思う。光州を案内していただいた皆さんには大変感謝している。(労働者S)


戒厳軍による市民に対する集団発砲のあった錦南路を抜けて、正面に全羅南道の道庁舎跡が見えてきたとき、ここがあの「光州民衆蜂起」の舞台なのだと体が震えた。

続いて訪問した国立5.18民主墓地で、民衆のたたかいがしっかり評価され、記憶され、継承されていることがよくわかった。犠牲になった方々を追悼する際、映画『光州5・18』で市民軍に決起した青年が「おれたちは暴徒じゃない」と叫んで射殺されるシーンが脳裏に思い浮かび、胸が熱くなった。

一方で、光州市民のたたかいはまだ続いていることも知った。道庁舎跡は半分が取り壊され、半分は資料館になっているが、これを保存するために市民がテントを張っていた。また、犠牲者の正確な数、行方不明の人々の存在、誰が発砲を命令したのか、米軍は当時何をしていたのか、といった事件の真相もすべてが明らかにされたわけではないとのことだ。

光州で起きたことは、現代世界でも普遍性がある。国家権力がある勢力に私物化され、危機に陥ったとき、民衆を弾圧するし、場合によっては虐殺も辞さない。安倍政権は憲法を変え、自衛隊を国軍として明記しようとしているが、光州事件を教訓として、軍が民衆の上に立つ危険性を、私たちは今こそ想起すべきだろう。

最後に、今回、思いもかけず「平和と統一を開く人々」光州支部の方々に案内していただいた。深く感謝し、光州で見聞したことを周りの仲間に伝えていくことを約束したい。(AWC事務局T)

2018日韓青年学生交流の旅・その1

2018日韓青年学生交流の旅・その2

2018日韓青年学生交流の旅・その3

2018日韓青年学生交流の旅・その4

2018日韓青年学生交流の旅・その5

2018日韓青年学生交流の旅・その6

2018日韓青年学生交流の旅・その7

2018日韓青年学生交流の旅・その8

2018日韓青年学生交流の旅・その9

2018日韓青年学生交流の旅・その10

2018日韓青年学生交流の旅・その11

2018日韓青年学生交流の旅・その12

2018日韓青年学生交流の旅・その13

2018日韓青年学生交流の旅・その14

2018日韓青年学生交流の旅・その15

2018日韓青年学生交流の旅・その16

2018日韓青年学生交流の旅・その17

2018日韓青年学生交流の旅・その18

2018日韓青年学生交流の旅・その19

2018日韓青年学生交流の旅・その20

2018日韓青年学生交流の旅・その21

2018日韓青年学生交流の旅・その22

2018日韓青年学生交流の旅・その23

2018日韓青年学生交流の旅・その24

2018日韓青年学生交流の旅・その25

2018日韓青年学生交流の旅・その26

2018日韓青年学生交流の旅・その27

2018日韓青年学生交流の旅・その28

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